ECCジュニア上野西大手教室に興味を持って頂いてありがとうございます
まずは講師である私、冨澤寿美子がどんな風に英語を勉強してきて、どんな経緯で英語教室を開くようになったのかというところからお話ししたいと思います。
実は、
”英語の先生らしからぬ苦労”も経験しています汗
最後までお付き合いいただけるとうれしいです!
私は伊賀市で父はサラリーマン、母は専業主婦の家庭に生まれました。いわゆる団塊ジュニア世代で、今とは逆で、子供が多い時代に生まれました。
そして、小中高までは地元の学校に通う普通の子供でした。
(外国への憧れ)
小さい頃は、1日中本を読んでいても飽きない子で、外国のおとき話、外国の偉人の伝記などを夢中になって読んでいました。
「いつかお城に住んで、お姫様になりたい!」!と思うような子供でした。おめでたい子ですよね〜
また、いつか外国に行ってみたい!と憧れていました。
(英語との出会い)
小学校高学年の頃、学校に同級生の叔母さんで、東京で通訳をしている人とアメリカ人の女性が来ました。当時、田舎町で外国人を見かけることはほとんどなく、そのアメリカ人を見てみんなソワソワしていました。
そして、未知のわからない言葉で外国人と話している同級生のおばさんを見て、
「外国人と英語で話せるなんてすごい!
カッコいい!!」
と、私は衝撃を受けました。今でもその場面はハッキリと覚えています。「私も話せるようになりたい!!」と英語の魅力にすっかり取り憑かれてしまったのです。
あなたはどうでしょうか?一度いでも英語がペラペラ話したいと思ったことありませんか?
英語がペラペラ話せたらカッコイイですよね?
また同じ頃、帰国子女で英語しか話せない子がアメリカからクラスに転校してきました。
すっかり英語に取り憑かれていた私は、
「どうしてももその子と仲良くなりたい!
そのためには英語が話せるようにならなければ!!」
と決意するのです。が、転校生が日本語を覚える方が早かったのと、その子がまたアメリカに帰ってしまったので、一旦決意はしぼんでしまいました
さて、英語の魅力に取り憑かれてしまった小学生の私ですが、英語を話せるようになるまでにはまだまだ困難が待ち構えています。
今では英語講師をしていますが、英語講師にはあり得ない失敗もしています。恥ずかしくて今まで誰にも言ったことのないこともあります。
次回は、恥を忍んでお話ししますので、ぜひ読んで頂けると嬉しいです。